我从小学就对中国产生了浓厚兴趣🇨🇳✨。
我对古代发明汉字的中国人怀有深深的敬意✍️📜🙏。
写文章时,如果忘了汉字,日本人可以用假名代替📝。在没有假名的中国,一旦忘了一个汉字,整篇文章就可能写不下去📄😰。
在这种压力下生活,我从小就觉得中国人太了不起了👏💪。
高中毕业后,我便开始自学中文📚🧠。
如今中国已成为仅次于美国的世界第二大经济体💹🌍,超越日本🇯🇵,国力日益强盛💎🔥。
但在我年轻时,很多日本人眼中的中国,仍是一个贫穷落后的国家💭🕰️😔。
当时,我父亲拥有一栋两层楼的公寓🏢🏘️,共有四个房间🛏️。
我们决定以极低的租金把空房租给一对中国留学生夫妇👫🎓。
原本租给日本人的价格是每月七万日元💴📆,而他们只需支付一万五千日元,还包括停车位🅿️🚗🪙。
可能有人会觉得我们别有用心🤷♂️💬😐,但其实并无他意🙅♂️。
如果非要说目的,那就是想让他们教我一些中医方法缓解肩膀酸痛🌿💆♂️🧘。
第一对入住的是来自山东的小段夫妇,他们住在二楼🏠。
小段和我同龄👬,我心里非常高兴能交到这样一个朋友😊🤝。
他的妻子厨艺很好👩🍳🍳,经常邀请我去他们家吃饭🍲🥢🍴,度过了很多愉快的时光🎉🎈😋。
小段的一位朋友也想住进这间宽敞又便宜的房子,为了讨好我,很是努力💪🗣️,但因为她是单身,房间太大不太合适,我便委婉地拒绝了🚫🙅♂️😅。
听说她还是不死心😣😤,甚至请求小段能否与她共用信箱📬📮📦。
后来,小段介绍了来自辽宁的毕哥夫妇👨👩👧🧳,他们搬进了一楼🏠。
他们也常常邀请我去家里吃饭🍛🍽️🥘,做了很多家常菜招待我👨🍳👋。
但不久之后,一个大麻烦出现了⚠️😟💥。
小段读完研究生后,就去名古屋的一家证券公司上班了🏢💼,也向在日的朋友和熟人(包括我)推荐投资💰📊。
他对我说:“就算没赚到钱,本金也能保证拿回来🤞📉。”
虽然他毕业于中国的一流大学🎓🏫🌟,确实很优秀✨👍,但他毕竟几乎没干过证券交易📊📉,我觉得把大笔钱交给他风险太大⚠️😬,最终就没投🙅♂️。
毕哥夫妇因为对那套又宽敞又便宜的住处心存感激🙏❤️,向他投资了70万日元💸📈。
然而不久之后,我的担忧变成了现实😔📉,那笔投资不仅没有收回本金,反而全额亏损💥📉,导致两对夫妇之间的关系开始恶化💢💔。
小段夫妇还劝毕哥夫妇追加投资📣📈,说“只要再投一点,就能把亏的钱都赚回来”💬📊,但毕哥夫妇拒绝了🙅♀️🙅♂️。
小段的妻子对毕哥的妻子不愿再投资一事大发雷霆😡🔥,严厉斥责🗯️,两家人关系就此彻底闹掰了💔🚪。
他还向曾在日本帮助过他的担保人推荐投资📢🤝,结果对方也因此蒙受了损失😞📉。
毕哥原本在国内是大学教授🎓📚,失去了70万日元之后,只能去做夜班的体力工作维持生活🌃🔧。
最终,小段夫妇搬离了公寓🚚🏠,正式定居名古屋🏙️📦。
当时我还年轻,不太懂事🧒😅。
虽然我没有投资给小段💸❌,但因为对毕哥夫妇表示了同情🤝😢,导致我和小段之间的友情产生了裂痕💔🪙。
明明最初还为了能交到这么好的朋友而欣喜不已🎉👬。
就这样,我出于善意、为了中日友好而做的事情🤝🇨🇳🇯🇵,最终却引发了一场意想不到的悲剧📉😣。
后来小段曾说,他让客户总共损失了约一千万日元💸📉。
小段夫妇搬走后,二楼住进了小王夫妇👨👩👦🏠。
小王也是山东人🧍♂️🌾,和我同龄👫😊。
他的妻子小张来自辽宁👩🧣,在住公寓期间创办了IT公司💻🧠,顺应时代潮流📈🌐,取得了巨大的成功🚀🎉。
听说小段夫妇、毕哥夫妇和小王夫妇后来都离了婚💔😢。
如今只有小张还留在日本🇯🇵🗾,和我保持着良好的友谊📞💬🤗。
或许,我年轻时为中日友好所做的一点点努力🤝🇨🇳🇯🇵,多少还是得到了些许回报吧☺️🌸✨。
联系方式
微信

邮件
私は小学生の頃から中国に関心があった。文を書く際、日本人なら漢字を忘れたら仮名で書けばいい。しかし、仮名がない中国では漢字を一語でも忘れると文章が完成しなくなる。そんなプレッシャーの中で生活している中国人は本当にすごいなと幼心で思っていた。高校卒業後から、独学で中国語の勉強を始めた。中国は今やアメリカ合衆国に次ぐ世界2位の経済大国になり日本を超えて豊かになったが、私が若かった頃は、中国は貧しい国というイメージが一般的だったと思う。
当時、父が所有していた二階建てのアパートには4世帯分の部屋があり、空室を中国人留学生夫婦に格安の家賃で貸し出すことにした。通常、日本人には7万円で貸し出していたところを、駐車スペース込みで1万5千円で貸し出した。こんなただ同然の破格の家賃で貸し出すなんて何か魂胆があったのではと思われるかもしれないが、実際に何もなかった。強いて言えば、肩こりの痛みを消すいい方法が中医学にあれば教えてほしいということだけだ。
最初に入居したのは山東省出身の段さん夫婦。2階に入居した。段さんは私と同じ年だったこともあり、私はいい友達ができたことを内心とても喜んだ。段さんの奥さんは、料理が上手で、たびたび食事に招かれ楽しい時間を過ごした。段さんの友人の一人が、自分も広くかつ格安のアパートに入りたくて私の気に入ろうとしたが独身者には部屋が広すぎるため遠まわしに断った。聞くところによると、彼女はあきらめきれず段さんに対し郵便受けを共有させてほしいといった働きかけをしていたようだった。次にアパートに入居したのは、段さんの紹介による遼寧省出身の畢さん夫婦。1階に入居し、彼らからもよく自宅に招かれ手料理をご馳走になった。しかし、程なく大きな問題が起こってしまった。
小段は、留学先の大学院を卒業後、名古屋のある証券会社に就職したため,私を含むにほんにいる友人・知人に彼への投資を持ちかけた。彼は、「私に仮に利益がでなくても、元本は保証する」と言った。私は彼が確かに中国の一流大学を卒業した優秀な人物であることは認めるが、証券取引の経験が皆無の彼に多額の資金を預けるのはリスクが大きいと判断し、投資を見送った。しかし、畢哥夫妇は、広く格安の住まいを紹介してくれた段さんに対し強い恩義を感じていたため、彼に70万円を投資した。しかし、ほどなく私の心配が的中し、畢哥夫妇の70万円は、元本が戻るどころか、ゼロになって、両夫婦の関係が悪化した。段さん夫婦は、畢さん夫婦に対し、もう少し投資してくれればゼロになったお金を取り戻せると更なる投資を促したが、畢さん夫婦が断った。段さんのアパートの1階と2階で大ゲンカに発展した。やがて段さん夫婦はアパートを退去し、勤め先のある名古屋へ引越していった。段さんは、来日した際に保証人になってくれた日本人にも投資をもちかけ、その方は彼に投資したものの、それも全額失ったそうだ。畢さんは、中国では大学教授の身分であるものの、70万円を失った後、夜間肉体労働の仕事を始めた。当時は私もまだ若かったため、投資で損失を被った畢さん夫婦に同情し、肩入れしてしまったが、今となってはどちらの立場にも偏らず、中立的な姿勢を取るべきだったと反省しています。段さんとの友情に修復できない亀裂が入ったことは私にとって大きな痛手でした。かくして、私の善意から出発した日中友好の活動は思いがけない惨事を招く結果となった。
その後、段さん夫婦が退去した2階には、王さん夫婦が入居しました。王さんは山東省出身で私と同い年。奥様の張さんは遼寧省出身で、アパートに住んでいる間にIT企業を立ち上げ、時流に乗って大成功を収めました。
聞くところによると、段さん夫婦、畢さん夫婦、王さん夫婦ともにその後離婚した。このうち張さんだけが現在も日本在住で交流がある。若き日の私が日中友好のために尽くした小さな努力は、ほんの少し報われたのかもしれない。